第5話「HOPPY誕生秘話と明日への予感~」
夜のジムは静まり返っていた。営業が終わった後、蛍光灯の淡い光だけが器具の輪郭を浮かび上がらせている。モッティ、ルル、ボニーの3人が、マットの上で水を飲みながら息を整えていた。いつものように誰からともなく自然に集まり、いつものように他愛もない会話を交わしている。
「“自分を許す”って……岡田さん、あの日そんなこと言ってたよな」
ルルがぼそりとつぶやいた。
「うん。スクワットのフォームを見てもらった時だった、静かに言ったよな」
と、モッティが応じた。
「……俺、その言葉がずっと引っかかってるんだ」
ボニーが腕を組んだまま目を伏せる。
──そのとき、ジムの隅のソファに座っていたフクロカが、ゆっくりと立ち上がった。
落ち着いた仕草で歩み寄ると、彼女は彼らの輪の外側に腰を下ろし、少し遠くを見つめながら静かに話し始めた。
「……“自分を許す”って、私もずっと向き合ってきた言葉なんだ」
ルルがそっと視線を向ける。フクロカの話は、いつも不思議と耳に残る。
「私がここに来たのは、ずっと前の話。……HOPPYを作りたい。協力してほしい。と岡田さんが声をかけてくれたのよ」
そして、何から話したら…フクロカさんは考えるようにちょっと天井を上目づかいで考えてるようで、みんなは、黙っていた。ジムのBGMだけが静かに流れている。
──あの静かな朝、まだ春の風が冷たかった
「さて、今日はね、『自分を許す』って話から始めようか」
岡田氏は、ラックの前で腕を組んでそう言った。
「ルル、バーベルを胸の前まで──。うん、そこで止めよう。力を入れるときって、がむしゃらに押し込むだけじゃない。どこまで力を抜いて、どこから力を出すか。それを知るためには、自分をよく知らなきゃいけないんだ」
「俺はね、昔、人を追い込みすぎてしまったことがある。成績、数字、結果。そればかり見てた。部下を壊してしまったこともあった……。だから、ここでは“ギリギリやれる”じゃなく、“あと数回残せる”を大事にしてる。……余白が、明日の力になるって、今は思うんだ」
彼は、バーベルをそっと持ち上げて見せた。
「限界を超えることも大事。でも、“超えないで今日を終える勇気”も、同じくらい大事だ」
──そしてフクロカが付け加える。
「あの人は、痛みを知ってる。でも、それを隠さないで共有する力がある。HOPPYを始めた理由も、実はそういうことだったの。壊れた人を、もう一度立たせたい。誰かの“再生”を支える場所が欲しかった……って」
ボニーが小さくうなずく。
「俺も……そうだな。再生って言葉、わかる気がする」
フクロカは微笑む。
「私はね、もともとカウンセラーとして現場にいた。……そして、ちょっとだけ特殊な仕事もしてたことがあるの。詳しくは、またいつかね。でも……ここにいるのは偶然じゃないと思ってる。HOPPYって場所に私がいるのも、きっと意味がある」
──そのとき、ジムの外の街灯が一瞬チラついた。
窓の外、誰かの影が通り過ぎる。フクロカは一瞬、目を細めるが、何事もなかったように微笑んだままだ。
「さ、そろそろ帰りましょ。夜はまだ寒いわ」
フクロカはわずかに顔を上げ、その気配に再び目を細める。微かに耳を澄ませ、空気の流れがほんの少し変わったことを確かめるように、無言のまま数秒立ち止まった。
──視線は、何もなかった夜の道へと戻る。
「……やはり、夜は寒いわね」
何事もなかったような落ち着いた声色のまま、フクロカは小さく微笑む。けれどその背筋には、一瞬の緊張が残っていた。
ジムの扉を開けたとき、外気が一気に流れ込み、彼らの足元を撫でるように冷たい風が吹き抜けた。
この場所は、ただの筋トレジムじゃない。
誰かが“自分を取り戻す”ための、静かな港。
そして──その港の外に、波が立ち始めている。
フクロカは振り返らずに、静かに言った。
「……少し風が強くなるかもしれないわね」
そう言ったその目だけが、夜の奥へと向けられていた。
つづく
第二章 揺らぐ心、揺るがぬ意志
第1話「ルルの岐路~本当の強さを探して~」