第4話「指導者の覚悟~諦めさせないということ~」
朝の光がまだ届かない時間、ジム裏の倉庫跡地に設置された簡易ラックに、鉄の音が静かに響いた。
岡田氏は今日も、ひとりバーベルに向き合っていた。
週に3〜4回。ルーティンどおり、自ら組んだメニューに沿ってBIG3を続けている。
「トレーナーがやってなきゃ、説得力なんて生まれない」
それが岡田氏の持論だった。
今年、40歳。
だが、記録は年々更新されている。
筋肉も、メンタルも、まだ伸びる。
いや、“伸ばしている”のだ。自分の手で。
ラックにバーベルを戻すと、岡田氏は一度だけ深く息を吐いた。
冷たい空気が、肺の中を一気に洗う。
(――昔は、数字だけで勝負してたな)
思い出すのは、かつての研究職時代。
大手バイオ企業で幹部候補と目され、成果を次々と上げていた。
学会発表、特許申請、次期プロジェクトリーダーの打診。
誰もが賞賛した。
けれど、心は削れていた。
数値化されること、成果主義、競争。
優秀であることが“当然”とされる世界で、自分を保ち続けるのは容易ではなかった。
そのとき、彼に声をかけてきたのが――フクロカだった。
当時、企業カウンセラーとして出入りしていた彼女は、静かに、だが確かに岡田の異変を見抜いていた。
「あなたが支えようとしてる人たちの顔、見えなくなってるでしょ?」
その一言が、なぜか胸に深く刺さった。
彼女の面談を受ける中で、岡田氏は少しずつ、自分が「誰のために働いていたのか」を思い出していった。
山本五十六の言葉――
「やってみせて、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」
これが、いまの岡田氏の座右の銘だ。
自分もやる。伝える。そして、支える。
そんな彼のもとに、重たい足音が近づいてきた。
「……ずいぶん静かな場所でやってるな。孤独に鍛えてるのか?」
黒いスーツ、鋭い眼光。
IRON HELLのコーチ、クロノスが立っていた。
「たまには、自分とだけ向き合う時間も必要なんでね」
岡田氏はバーベルの位置を整えながら答える。
「なるほど。だが――そんなやり方で、君はHOPPYを続けられると思ってるのか?」
クロノスは、皮肉を混ぜずに問うた。
その声には本気の問いがこもっていた。
「私はね、結果でしか評価しない。“できるやつが正しい”。“できないやつは去ればいい”。……違うか?」
岡田氏は少しだけ目を細め、クロノスの方へ向き直った。
「違うな。俺は、過程を見る。何度でも立ち上がる奴を信じる。強さは“できなかった日”に、もう一度向かう姿勢の中にあると、そう思ってる」
一拍の沈黙。
「白黒つけるなら、そうか。俺たちは“真逆”なんだな」
「そうだな」
クロノスは薄く笑った。
「だが、私は好きだよ。そういうバカが1人くらい、この街にいてもいい」
そう言い残して、クロノスは背を向け、倉庫の陰に消えていった。
夕方。
ジムのメインフロア。
トレーニングを終えたモッティがスクワットをしている。
ボニーはベンチに座り、タオルで額の汗を拭いていた。
ルルは、無言でダンベルを整えている。
岡田氏は、彼らを静かに見渡した。
それぞれに悩みがある。
揺らぎがある。
でも、それでも――
「諦めずに、もう一度挑ませること。
それが俺の仕事だ。
ここでなら、それができると信じてる」
岡田氏はそう心に呟きながら、ひとつ息を吸い込んだ。
それは、今日という一日に区切りをつける深い呼吸だった。
つづく
第三章 揺さぶられる信念
第1話「IRON HELLの気配~新たな誘いと脅威~」