第4話「ルルの帰還~挫折からの再生~」
セッションの最中、ルルの足がふらついた。
「もっと速く!」「腰を落とせ!」「それじゃ勝てない!」
飛び交う声と、自分の呼吸の乱れが重なり合う。頭の奥で耳鳴りがした。
「……っ」
次の瞬間、バランスを崩したルルは、目の前が真っ白になるのを感じた。
***
救護室に横たわるルルのそばには、ゴリラーマンがいた。
氷嚢を替え、額の汗をぬぐいながら、そっと問いかける。
「痛む?」
ルルは首を小さく振った。
鏡に映る自分の顔は青ざめていて、どこか遠くを見ていた。
「岡田さんに言われてたんだ。君のこと、見守ってくれって」
静かに、ゴリラーマンが言った。
「俺、最初はただの任務だと思ってた。でも、今は……本気で思ってるよ。
君がここで壊れないかって、それだけが心配なんだ」
ルルは返事をしなかった。
けれどその言葉は、ずっと張り詰めていた何かを、ほんの少しだけ緩めてくれた。
***
その夜、ルルは寮のベッドでひとり目を開けていた。
(……おかしいな)
浮かんできたのは、今日のセッションで聞いた言葉。
「速く動け」「体重増やせ」「あと0.1秒縮めろ」
——でも、それって誰にとっての“正解”なんだろう。
HOPPYでは、岡田さんが言っていた。
「それぞれ違う。目標も体も心も、ひとりひとり違うから、向き合い方も変えないといけないんだ」
そういえば、岡田さんは決して「これをやれ」と押しつけてはこなかった。
トレーニングも食事も、人によって違ってよくて、誰かの型を当てはめるようなことは、しなかった。
(……岡田さんは、“育てる”んじゃなくて、“一緒に考えてくれた”)
眠れない夜のなか、考えて、考えて、ルルはようやくひとつの答えにたどり着いた。
(……俺は、ここで変わらなきゃいけない。HOPPYで)
***
翌朝、ルルはクロノスの元へ行き、静かに頭を下げた。
「やめさせてください。……ありがとうございました」
クロノスは一瞬だけルルを見つめ、肩をすくめて鼻で笑った。
「……まあ、ここは君みたいな“甘い”やつには向いてない。お望み通り、戻ればいいさ。ぬるま湯のジムにな」
その言葉に、ルルの胸がチクリと痛んだ。
自分の弱さを言い当てられたようで、悔しさが込み上げた。
けれど、それ以上に——大切な場所を軽く言われたことが、許せなかった。
「……あそこは、誰にとっても本気で向き合える場所です。あなたには、きっとわからない」
そう言って、ルルはもう一度だけ頭を下げ、背を向けた。
歩く足取りは、もう揺れていなかった。
***
ゴリラーマンには、寮の入口で最後の挨拶をした。
「……ごめん。いろいろ気づかせてくれて、ありがとう」
ゴリラーマンは頷いて、ほんの少し寂しそうに笑った。
「君の選んだ道なら、俺は応援する。……またどこかで会えたら、うれしいな」
ルルは小さく笑い返し、頭を下げた。
「うん。……今度会うときは、ちゃんと笑って話せるようになってたいな」
もう迷わなかった。
(合わせる顔がない——なんて、言い訳だった。恥をかきたくない、それだけだったんだ)
(プライドなんてどうでもいい。俺は……もう一度、みんなとトレーニングがしたい)
***
HOPPYのドアを押し開けると、あの懐かしい空気が、ふっと体を包み込んだ。
受付の奥から顔を上げたモッティが、思わず立ち上がる。
「……ルル!?」
ボニーも、シャツのすそを握ったまま、目を丸くしていた。
「うそ……マジか……!」
ルルは小さく頷いた。足が震えていた。でも、踏み出す。
トレーニングルームの奥、バーベルを構えていた岡田氏が、静かに振り返った。
「……戻ってきたな」
その一言に、ルルの喉がつまった。
「……ン………」
それだけしか言えなかった。胸が熱くて、言葉にならなかった。
けれど、言わなきゃ。ここで変わるって決めたんだ。
逃げないって決めたんだ。
——プライドなんて捨てろ、俺。
ルルは床に膝をついた。
「……またここで、やらせてください!」
声が震えた。でも、まっすぐだった。
岡田氏は一歩近づき、そっとルルの肩に手を置いた。
「もちろんだよ。ここは……帰ってきていい場所だからな」
「……戻ってきてくれて、嬉しいよ」
ルルの目に涙が浮かぶ。
モッティとボニーが、駆け寄ってきた。
「ルル!」
「おかえり!」
3人はその場で抱き合った。
何も言わなくても、全部伝わった。
***
その様子を、カウンターの奥からフクロカが見つめていた。
(……本当に、あなたを待っていた)
静かに目を細めて、心の中でそうつぶやく。
***
ジムの片隅。ルルは再びバーベルを握った。
その姿を見て、周囲の会員たちが、自然と微笑んでいた。
夕日に染まる窓越しに、フクロカの小さな囁きが重なる。
「これが……本当の、再生の始まりね」
つづく
第五章(最終章)絆と秘密の先にあるもの
第1話「ボニーの解放~赤いコップが紡ぐ絆~」